成孔じゃねえ!!!!
僕は悲しいよ。
なぜかって?
~ある日の一幕~
僕「ねーねー、これ菊地さんのレコード!手に入れるのに苦労したんですよ」
友「菊地成孔?」
僕「いや、雅章の方」
友「知らないなぁ...」
~またある日の一幕~
僕「菊地さんっていいですよね、ジャズの」
友「菊地成孔?」
僕「いや、雅章の方」
友「知らないなぁ...」
なんなんだ。この世には菊地雅章を知っている人物が失せたのかと思うほどの認知度。
成孔と雅章ってもしかして同一人物?と僕の方が疑ってしまった。違った。
同一人物と思っていた方のために見分け方を貼っておきます。
周りの人々には菊地雅章がほとんど知られていない事実。
僕は悲しいよ。
というわけで今回は認知度上昇を企図し、菊地雅章特集!
日本ジャズの大名盤Susutoじゃあ!
そもそも菊地雅章さん、きくちまさぶみ、と読む。
初見では絶対間違えてしまうので注意。*1
若い頃は渡辺貞夫や日野皓正と仲良くしていたらしく、
つまるところ日本のジャズ第一世代の人。
日本で美空ひばりなどのバックで下積みした後、留学。
ここでその後の菊地雅章の活動に大きな影響を与えた出会いをする。
マイルスの電化ジャズである。
M Davis Bitches Brew 1970Full Album] HD 1080p (1)
電化マイルスといえばBitches Brewだが、
驚くことなかれ、菊地雅章は同年に日本において電化ジャズアルバムを披露しているのだ!!(菊地雅章すごすごポイント①)
アルバム名はPOO-SUN。これは菊地さんのニックネーム。由来は謎。
また人気作で数少ないサブスクで聴けるものでもある。
この曲はなんでか知らんがないけどネッ!!!
その後、このブログでも紹介した、尺八を取り入れた作品「銀界」や、僕が苦心してレコードを手に入れた「イースト・ウィンド」など、試行錯誤を繰り返す。
Masabumi Kikuchi - Green Dance
また、ギル・エヴァンスなどこれまたすんごい人物たちと共演し
そして1978年、ついにマイルスとのセッションに参加。
(菊地雅章すごすごポイント②)
そこでの録音は残念ながら世に出回ってないようだが、菊地さん自身に凄まじい影響を与えたらしく、
ついに出来上がったのが和ジャズの名盤・Susutoである。
日本はもとより海外での評価も著しく、日本語版にはないのに英語版Wikipediaにこのアルバムの記事があるほど。
やはり白眉はシングルカットもされたCircle/Line。
今でも初めて聴く人は「なんじゃこりゃ!?!?」と驚くこと必至。
7拍子のファンクのリズムを民族音楽の如く、ひたすらにぐるぐる繰り返してみたり、
かと思うと突然落ち着いてみたりとギミックしかない曲。
曲名通り円と線で成り立っているような曲である。
1981年にこんなことをやっているのだから凄すぎるね。
ちなみに、ちょくちょくクラブでプレイされるらしい。これで踊るのか...
曲撮りは菊地さんのプレイに合わせて行われたらしく、いわば曲構成はあってないようなもの。
その上ころころと曲調が変わるので撮るのにえらく時間がかかったらしい。
他にもCM曲にもなったGUMBOも人気の曲。
さっきとは一転してゆるいレゲエ風ファンク。
さっきはマイルスっぽかったけどこっちはハービー・ハンコックぽいね。
菊地さんなりのエレクトリックジャズを総括するためのアルバムだったのかもしれない。
このアルバムはある人に多大なる影響を与えている。
そう、その人こそが菊地成孔である。
上の記事に詳しいが、こういうことである。
中野サンプラザで行われたこのアルバムのツアーを、当時まだ17歳の菊地青年が見に行ったそうだ。
そこで菊地青年は愕然とする。
そのライブではこのアルバムの曲を何一つ、まともに完奏することができなかったのだ。
腕利きの音楽家が難儀しながら録音したSusutoだが、アルバム制作にお金をかけすぎてしまったため、ライブでは録音時の音楽家が使えなかったとのこと。
そう、普通の人たちでは演奏できないレベルの曲だったのだ。
数小節ごとにバンドが止まり怒鳴る雅章氏、それを半笑いでみる聴衆。
それを見た菊地青年。
「このアルバムは、アルバムは出来たけど、演奏されないまま終わるんだな…。」と思ったんですよ。
(中略)
「このアルバムを成仏させよう。このアルバムの曲を、少なくとも『サークル/ライン』は全部通すんだ。」と。「完奏するんだ。」と。
そしてそれを実行するため結成されたのがDCPRGなのである。
ちなみに、Susutoにはある噂がある。
それは世界で一番お金のかかったジャズアルバムという話。
故に通称・ジャズのナイトフライ。
ナイトフライは制作費を一応回収できたらしいが、Susutoはそうはいかなかったらしい。
件のツアーに演奏家を呼べなかったのもそのせい。
故にその後の菊地さんの活動が制限されてしまうことになる。
例えば謎ニューエイジアルバム集・六大とか、そういうやや商業的な方向に行かざるをえなくなった。
しかし、今でもこれだけ影響を与えたところを見るに、菊地さんがこの作品に投資したのは正解だったように感じる。
日本の音楽界のため、自ら犠牲になりに行った...のかもしれない。
[1981] Masabumi Kikuchi – Susto [Full Album]
*1:かく言う僕もまさあきで変換かけてます。ご本人も苦労があったはず。