え!?これカエターノ・ヴェローゾ!?
みんなボサノヴァのことを好きだと思う。
好きじゃないと言う奴は世間に逆張りしているだけである。もっと素直になろうよ。
さてボサノヴァは発表以来世界的にバカバカとリスナーを増やしたのは周知の事実だが、その後のブラジル音楽の動向についてはファン以外には意外に知られていないようだ。
ボサノヴァがある程度の成功を収めた後、時代が進むにつれ洗練され上流意識・都会性を獲得していく。丁度日本音楽についてフォークからシティポップに移行するのと同じである。
その移行の中で、邦楽でも甲斐バンドやキャロルがいたように、「イェイェイェ」よばれるR&R風味のバンド群がブラジルにもいたようだ。*1
そんな音楽界についてケっと思った若者が一人。カエターノ・ヴェローゾである。
彼は今のボサノヴァは本物ではないと主張。初期のボッサとサイケを推しまくり、仲間内とトロピカリアというアルバムを制作した。
これが後々に世界的な影響力を放ち続ける激烈名盤となる。
ここに参加している人たちはMPBというジャンル*2の中心人物になり、とりあえずここに出てくる人を追っていればブラジル音楽知っていることにしてしまって全然OK。
しかし音楽的に革新的な人は政治的にも革新的。
ヴェローゾは時の軍事政権に逮捕されてしまう。
自宅軟禁後に海外に亡命するのだがその間にアルバムを作る荒業を披露。
一流音楽家は一味違うぜ!
ほとぼりが冷めた後、帰国しアルバムを作成する。で、できたのがAraca Azulというわけ。
実はこのアルバム、ついこの前先輩に教えていただいたのだけれど
「これ本当にカエターノ・ヴェローゾかいな」
と思いたくなる奇怪極まりないアルバムに仕上がっている。
なんせ一曲目からブラジル民謡のプロによるアカペラである。
このアレンジでなので最初聴いた時ビビってしまうが、よく聞いてみるとかなり良い曲。
スタンダード曲らしいので色々聴き比べてみると面白いかも。
Mariene de Castro - Viola Meu Bem
この動画のようなノリノリ!アレンジにもできたはずだが、敢えてシンプルで原初的なアレンジにしたことでコンセプトの宣言として機能している。
まあトバしてるのは一曲目だけかな?なんて思っていたら次はアヴァンなミュージック・コンクレートです。
お疲れ様です。
Caetano Veloso - De conversa cravo canela
なんでも、コンクリートポエトリー*3を音楽的に表現しようとしたとのこと。
道理で不可思議な曲になるわけです。
ただ、「声だけミュージック・コンクレート」というのはイタリアのバンド・Areaの頭がだいぶおかしいボーカルくらいしかやっていなかったであろうから、世界的に見てもかなり意欲的な作品だったのではないだろうか。
あと、この曲の終わり方がザッパっぽい。
三曲目でようやく正気を取り戻す。
Caetano Veloso Tu Me Acostumbraste
この曲はキューバのFrank Dominguezの曲のカバー。
原曲は結構ムーディーなのだが、ヴェローゾの手に掛かれば容易くブラジル音楽化する。
トロピカリア以降はサイケ寄りの曲を発表していたのだが、帰国後は再びボッサへ帰還していく。それを思わせる飾らないボサノヴァ風アレンジ。
四曲目もボッサなのだが、かなり前衛の要素が強くて楽しい。
個人的にはこのアルバムの中で一番好きな曲かもしれない。
ブラジル感にあふれつつも、かなり自由自在にギターやら唄やらピアノやらを挟んでいく。歌詞はブラジルでは有名な詩人Sousandradeの一節らしい。訳すると「謎のジルベルト」。
彼の友人にジルベルト・ジルがいるが、意識したのだろうか。
その後もポエトリーリーディングは勿論のこと、サンバのサイケロックカバーにビートルズの某楽曲を明らかに意識した妙な構成の曲など、自由奔放極まりない音世界がずっと続く。
Caetano - De Cara / Eu Quero Essa Mulher (1973)
Caetano Veloso - Sugar Cane Fields Forever
後にも先にもこんな作品を彼は出しておらず、キャリア全体の中で異彩を放ち続ける作品の一つらしい。
しかしこれだけ意味不明なことをしていてもトロピカリアという基本姿勢から全くぶれておらず、ブラジルの空気感が終始漂い続ける。
以前、このブログでボサモドキと称しあらゆる国を吸収するボサノヴァを紹介したが、カエターノ・ヴェローゾはあらゆるものを、形を変えずブラジル化したのである。
恐ろしい人...っ!