エキゾチカ外伝
映画音楽家のソロアルバムには面白いものが多い。
例えば最近亡くなったけれど、「夕日のガンマン」「荒野の用心棒」で知られるエン二オ・モリコーネ。
そんな映画知らない!という人でも月曜から夜更かしの曲を作った人と言えばわかるはずだ。(下動画1:42~)
そんな万人が称賛する名曲たちを作り上げた巨匠も若い頃はなかなか尖っており、GRUPPO IMPROVVISAZION E NUOVA CONSONANZAという、当時まだ珍しかったミュージックコンクレートなどを駆使した超前衛音楽グループのメンバーとして活動していた*1。純粋なソロではないが、彼の前衛サイドを楽しめる。
聴く人を選ぶが内容は非常によく、前衛音楽レコードで有名なNova Musichaシリーズにも取り上げられている。
あとは最近海外でも評価されつつあるMKWAJU ENSEMBLEとかも良いよね。久石譲が若かりし頃プロデュースしたミニマル音楽のグループ。
MKWAJUに限らず、テリー・ライリーに影響を受けた初期久石譲の音楽は世界的に見ても高レベルなものが多く楽しい。
比較的最近にも過去に電子音楽で作曲したものをオケでやり直したりしたアルバムを出しているから、久石譲自身ミニマル音楽には相当こだわりがあるのだろう。
あとはこの前このブログでもちょっと触れたが、ハリウッド音楽で楽器を弾いている方々のソロを集めたArtful Balance Collectionも、前衛音楽ではないがなかなかのフュージョンもの。是非皆さんも聴いてみてほしい。
そしてもちろん今回のPercussion Exotiqueもハリウッドの音楽家Robert Darsinの作品。
Robert Darsinは映画の音楽を多数手がけているが、実は正直あまり有名な作品はない。
どちらかというとドラマの音楽を主体に作曲した人物のようで、トワイライトゾーンやミッションインポッシブルのドラマ版などでの音楽を手掛けてたそうだ。偉大なる裏方という感じの人物。
そんな中、勤め先のレーベルのオーナーからアルバム制作を持ちかけられる。当時アメリカで流行っていたマーティン・デニーのようなエキゾチカ音楽を作らないかと言われたのだ。
YMOファンの皆様が死ぬほど聴いたこの曲ですな。これをモチーフに一枚作れと言われたわけです。
そういう商業主義的な成り行きでできたのがこのアルバムなのだが中身は全くそんなことはなく、60年前後のものとは思えないほどかなり面白いもの。
マーティン・デニーやレス・バクスターのような他のエキゾチカにありがちなイケイケ感はなく、冷静沈着。またアジアや南米ではなく、アフリカンな感じである。その点エキゾチカにしては異端な内容。
そして後のサイケに通じるような浮遊感のある女性ボーカル。そんなに派手な曲ではないけれど、当時の曲としては相当革新的だったに違いない。
ちなみにピアノが入っているけれど、これ若かりし頃のジョン・ウィリアムスが弾いています。ジョン・ウィリアムスのピアノが聴けるのはここだけ!(多分)
エキゾチカでありつつもジャズっぽいエッセンスがあまりないのも不思議なズレとサイケ感を醸し出している要因かもね。
またこうしてみると、ジャケもハイセンス。渋谷系あたりがパロディしそうなポップアート然としたジャケも、このアルバムに漂う斜に構えた雰囲気を下支えしている気もする。
ただ、このジャケは2ndプレス以降のものらしく、1stは下のジャケ。
Music From Polynesiaって書いてあるけど、この写真はポリネシアというより中南米感があるね。
また内容が同じなのに名前もPercussion ExotiqueではなくVoodoo。2ndプレス以降はもうちょっとハイソな層にも売ろうとしたのだろうか。
一応このアルバムはVoodooの方が正式名称として流通しているようで、続編としてVoodoo iiが発売されている。
そしてこの曲ではジョン・ウィリアムスのピアノ捌きを楽しむこともできる。彼が弾くだけで一気に映画音楽のような空気に変貌するのは流石。のちの大音楽家の片鱗が見て取れる。
このアルバムは当時から好評を博したようで、DIscogsによれば59年から60年の間だけでLPが9バージョンもあるほど。ジャケが二種類あることからもそれが分かるはず。
また僕の持っているLPは鼈甲のような色をした透明レコであり、視覚的にも大変楽しい。是非LPを手に入れてみてほしい。
...と言いたいところだけれど、そしてDiscogs先生によると、CD含めて最後の再発は1996年、LPに至っては60年からほぼ再発していないらしい*2。
相当年数経っているためかLPの枚数は少ないようで、売れたわりにLPはあんまり安い値段で取引されていないし残っているものもそこまで状態は良くないらしい。
どっかのコレクティブが鼈甲仕様も含めて再発してくれるのを待つばかりである。