Parallel Bars/Nick Hoffman【2021】
1000年後の聖歌
以前、クロスレビュー企画をした。各界の有名音楽ファンを集めて好き勝手にレビューさせる無駄遣い企画である。
その中には何故かかの浅井直樹氏もいたのだが、daniwellPのレビューで「ボーカロイドの空虚感」「死に近い雰囲気」について触れてくださっていた。
浅井さん自身もボカロを使って作曲していらしたのだが、その雰囲気を醸し出したいがために使った節があるそうな。
ところで浅井直樹といえば80年代の宅録音楽家の代表的存在だが、結構当時の宅録音楽人は機械音声に「死」を感じることが多いようで
同じく80年代の宅録音楽家の伏見稔*1もボコーダーを使ったエレクトロファンクに死を感じたらしい。
彼らの発言を聴いてへえ~そういう考えもあるんだ~程度にしか思っていなかったが、
よくよく考えれば所謂ボカロ曲にも死を連想させる歌が多いのも中二病とか言って切り捨ててしまっていたがそのせいかもしれないね。
ボカロを使うとボカロならではの空虚感(≒死の空気)が醸し出されるのである。
そんなことを思うようになったきっかけは、カセットテープばかり売ってることで有名なtobira recordsのアカウントからあったこんなツイート。
バロック音楽をオシレーターのみで制作したカセットを入荷しました。辛いことがあった日も、これを再生すれば「こんな変な音楽を真面目に作ってる人がいるんだ」と元気にしてくれそうな一本です。税込1,280円
— tobira records / hakobune (@hakobunemusic) March 13, 2021
Nick Hoffman's baroque tape is available.https://t.co/VzzxAuIBXA#tbr_contemporary pic.twitter.com/mdzcuvecfu
バロック音楽は元々教会音楽なので葬儀の場でながれることもあっただろうが、
電子音と組み合わさることにより人間が絶えた後に粛々とチープなコンピュータが演奏しているような空虚感が醸し出されている。
そして今回ご紹介するのはオシレーターに加えボーカロイドも加わった代物。
先ほど述べたボーカロイドのもたらす死の空気も合わさり、いよいよポストアポカリプスじみている。
この曲はヘンリー・パーセルによる「夕暮れの賛歌」という、イギリスの曲らしい。
17世紀に出版され、チェンバロ奏者で指揮者のウィリアム・クリスティによって再評価された...ということまでわかった。インターネット様ありがとう。
歌詞をみるとやはりどうやらレクイエム的なものらしい。
しかし、そんな意味など全く知らずに歌い上げる「ハレルヤ」はなかなか考えさせられるものがある。
宗教の根源的な部分と空虚的な部分が入り混じったような、不思議な音。
また、宗教歌だけではなく有名なオペラ曲の涙の流れるままになんかもある。
Lascia ch'io pianga
mia cruda sorte,
e che sospiri la libertà.
Il duolo infranga queste ritorte
de' miei martiri sol per pietà.どうか泣くのをお許しください
この過酷な運命に
どうか自由にあこがれることをお許しください
わが悲しみは、打ち続く受難に鎖されたまま
憐れみさえも受けられないのであれば
歌が終わってからのオルガンライクなオシレータも泣かせモノで良良。
前にレビューしたBoys Ageもそうなんですけど、機械音声や電子音で極めて人間的な楽曲をやるのが僕のツボなんですよね。もっとやってくれ~
この方、このご時世で珍しくこのような中世バロック音楽を愛している人で
弦が何本あるのか分からない謎の楽器でバロック音楽を演奏している動画も出している。
僕は根っからの日本人で本州から出たことないのだが、彼の弾く西欧の古い曲で妙に懐かしい気分になるのは何故だろう。
民謡クルセイダーズがウケているということは、西洋でも東洋の曲に懐かしさを感じているのかもしれない。
電子音楽と民謡は近しい存在と誰かが言っていたが、それは「死」への近さとその懐かしさなのかもしれないね。
*1:高校生ラッパーとして有名なLick-Gのお父さん